89歳のきみばあちゃんは、何度も私に「よう、来てくれておおきに」
っと御礼を言った。
きみばあちゃんのお母さんの33回忌の法事の席で妻の家族は久しぶりに
実家へ集まった。
妻はこの大ばあちゃんによく遊んでもらい、かわいがってもらったという。
扇風機が熱風を運ぶ中、読経が始まると初めて体験する私の息子は数珠を
おもちゃに楽しんでいたが、そのうち退屈になり別部屋でウルトラマンで遊びだす
私の小さいころはよく自分の田舎で執り行われていた法事を同じ気持ちで過ごしていたのを重ねていた。
お坊さんが帰った後、
「おばあちゃんの写真を見たって」っと自分の母の写真を見せてくれるきもばあちゃんはうれしそうに私を4畳半の二人で生活をしてこられた部屋へ招いてくれた。
「今日はほんまに来てくれておおきに。 悲しいけど、うれしい。ほんまうれしい・・・。」
っと私の手を握って泣いていた。
しわしわの手には本当に苦労をしてきた年月が刻まれていた温かい手だった。
私の幼い時には両親の父母は亡くなっていたのでおじいちゃんやおばあちゃんのぬくもりはほとんど記憶にないのできみばあちゃんの存在はなんともいえないものである。
孫の孫が見られる喜びをいつも寄せていただくと語ってくれる。
どうぞ、長生きして笑顔でいつも迎えてほしいものだ。