こんにちは。【タオルはまかせたろ.com】タオルソムリエの寺田です。
宮城県南三陸町。
一人の知人を訪ねてここまで来ました。
出会いは9月の南国高知。勉強会で講演をされた被災地の山内さん。
初対面だったのですが、実は何も変わっていないんですと
被災地の写真を見せていただき居ても経っても居られず、物資でなく
笑顔を届けに行きたいと何ふりかまわずすぐにアポをとり
村上さんと寄せていただくことにしました。
象徴といわれる防災対策庁舎には花がたむけられ観光バスがどんどん訪れ
笑顔で写真と撮って帰られます。
シンボルとして残すべきか残さずべきか・・・。
そんなことよりここで生きる意味を山内さんから教わるのです。
被災した山内さんが震災前に営んでなでおられた水産加工場の爪痕が残る
屋上に案内していただきました。冷たい風が吹きさらしの鉄筋だけの建屋・・・。
堤防を崩壊し津波が押し寄せた状況を残した港。
だいぶ綺麗に整備されたとはいえ
まだまだ、あのときのままの町。
どんな町でも自然は口を聞かず美しい夕陽を沈めていきます。
そう、この町にもです。
当たり前なんだけど改めて感じるのです。
あの3.11のことを振り返らせていいのだろうかとほとんど初対面の山内さんに
前置きをさせていただき聞いてみました。
「今ここに生きる意味は何ですか?」
「やはりここしかないんですよ。」と山内さん。
その言葉の意味が深い・・・。
一旦は奥様の郷の四国へ非難し
家族と離れても再建を誓い当時のことはほとんど映画の
ワンシーンのように収まっているこの地で生きることを選んだという。
大きな決断だったに違いない。
今はいい意味でも悪い意味でもこの光景には慣れてしまったと
言われる。
だけど、希望が無いわけではない。
だけど不安がないわけではない。
そこに夢を持ち生きること。
少し離れた場所に仮設の港が誕生した。
その目の前にファンドの力を借りて築いた新たな
加工場は山内さんの南三陸町で生きる覚悟である。
それから高台に工場、さらに産物の販売所を設け
町民に生きる灯りを灯し続けるエヴァンジェリストとして
活動されている。
町を案内していただき行きかう人々はみんな山内さんに
声を掛ける。
宿舎は昔の分校であった場所を改装された場所であった。
黒板も机も本棚もそのままで木のぬくもりが残る校舎。
仮設の商店街が遅くまで営業しており
そこで酒盛りをすることにした。
さんさん商店街のはしもとさんでここならではの
海の幸をいただきました。
満席だ、笑顔だ、店の中には電気があり酒があり誰も被災した
ことを感じさせない情熱がある!
しかしふとトイレに暗闇の外へ一人で出て灯りの無い町を見つめると
一人涙が止まらない。
私が泣くのはなぜなんだろう・・・。
お母さんを思い出す。
子供を妻を心友を社員を思い出す・・・。
町が無いからでなく人ってすごいと思えて泣けるのであって
ここに招きいれてくれたことに感謝して泣けたのであると
感じる。
たくさんの別れと死の直面を超えて
教わった尊い経験は心底人を強くしている。
それは紛れもなくその現地の人に生声を聞くと感じる。
すべての被災された方に触れたわけでなく
同じ心持で生きていないかたも多いことを
前置きにしてもみんな前を向いて生きていると肌で感じました。
まだまだ、私は弱い・・・。
だけど弱いはもう言わない。
そう思った一日に感謝です。
ヨタヨタやけどお気に入り!
そこまで使ってほしいタオルがあります
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・